京都なり田について

なり田について

ご挨拶〜求味専心〜

「求味専心」。なり田は上賀茂ですぐきをつくり始めた300年以上も前から、ただひたすらに、味を求めてまいりました。慢心をおそれ、常に味を磨いてきた先人たちの姿勢。それを支持してくださるお客様があってこそ、今ここに貴重な出会いをいただいていると、心から感謝しております。

「冬はいみじう寒き、夏は世に知らず暑き」と清少納言が記した京都。特殊な気候の風土が、今に愛される京野菜を育んできました。そして、京漬物を生み出したのは、先人たちの豊かな知恵でした。

今、全国どこでも京都の料理や漬物を食べることができます。しかし、京に固有のオリジナリティとして、上賀茂までわざわざ足を運んでくださるお客様も、またいらっしゃいます。大変ありがたいことと同時に、ひしひしと責任を感じます。

京つけものの伝統にあぐらをかくことなく、いかにおいしく召し上がっていただくか―—日々、創意工夫を重ねることが大切だと考えております。しかしながら、それは新しいながらもさらなる歴史の一部となっていくような、固有の持ち味がなくてはならないと肝に銘じております。

もちろん生産者のひとり相撲であってはいけませんので、お客様の声に真摯に心を傾け、丹念に対話を重ねていきたいと考えております。全国各地へ催事で出かけるのも、ウェブサイトを公開しているのも、少しでも多くのお客様とのふれあいを続けていきたいという思いがあるからなのです。

これからのなり田

豊かな食は、豊かな心とライフスタイルを育むもの。

食のグローバル化の中で、おおきなうねりを見せる日本の食文化。気ぜわしく変化する情報。せまくなった地球。合理化が進む一方で、愚直なほどに手づくりにこだわっていくことで、ご提案できるものがあると信じます。 「ここに帰ればいつも本当の日本がある。日本人が日本人に戻れる本物のやすらぎとゆとりがある。」—それを提案し続けていくことが、京漬物を原点とするなり田の役割であると思っております。

歴史に安住せず、むしろ時を重ねれば重ねるほど時代の要請も厳しく、ハードルが高くなると捉えて、精進の日々でございます。 伝え、創り継ぐ。先代から受け継いだ歴史をしっかりと守りながら、やがて未来へと受け継ぐ、今という時代。ここでなり田がなすべきことを真剣に考え、ていねいに取り組んでいきたいと思っております。

なお一層のご愛顧を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

京都なり田 十一代
        成田典子

なり田について

「なり田」の創業は1804年(文化元年)です。時は江戸時代、第11代将軍徳川家斉の頃です。 実際にすぐきを作り始めたのはさらに遡り、300年以上も前のこと。 なり田はその頃から変わらない製法で、すぐきを作り続けてきました。

なり田の歴史

「すぐきはたとえ一本といえども他村へ持ち出すことを禁ず」と朱書きされた御触書「就御書口上書」が出された1804年、これにより、すぐき菜が門外不出の固有種として京都・上賀茂で守られるようになりました。この年になり田は創業し、今も変わらぬ製法で300年以上すぐきを作り続けています。 なお、「なり田」の正式名は「御すぐき處京都なり田(おんすぐきどころきょうとなりた)」です。先代社長が「昔ながらの正統な製法で【すぐき漬】をつくりあげていることを明確にしたい」との気持ちから名づけたものです。

なり田のこだわり

なり田のこだわり

京都の老舗 漬物店「なり田」では約300年前から「すぐき漬」を作っております。「すぐき」の漬け込みには、「塩加減」・「重し加減」・「室(むろ)加減」の3つのポイントがあり、これらの加減は途中で修正ができません。さらに、「すぐき」を漬け込む樽の個体差や、同じ樽の中でも漬け込む位置によっても味が変わりますので、美味しい「すぐき漬」を安定してつくるためには職人の経験やカンが頼りになります。「なり田」では、これらの漬け込み作業はもちろんのこと、「すぐき漬」を仕込む全過程を熟練した職人による手作業で行っております。

なり田の「鈴」について

なり田の鈴

京都の老舗 漬物店「なり田」の暖簾や包装紙などに使われている「鈴」のマーク。 この横にある「富」の一文字は、木版画家で勲四等瑞宝章を賜った故・徳力富吉郎氏(1902~2000)の頭文字で、鈴のイラストも氏によるものです。自画・自刻・自刷りを行う現代版画の第一人者だった氏の作品は、今も日本各地で愛されています。 なお、この鈴には
1.お客様が「すずなり」となってお店に来ていただけるように
2.「なり田」の「なり」と鈴の「鳴り」をかけて
という意味が込められています。